部活のこと【オリジナル編】
軽音楽部に6年間所属しました。
4年までのことは2年前どこかに書いたので、院2年間で思い出せることを書く。
なんというか、うちの部は基本的にこだわることが吉みたいな宗教があったのでそこが相性が良かったと思う。
4年生になると並大抵のこだわりを見せても誰も何も言わないから、先輩と、同期とバンドをやるのは楽しかった。
2年とか3年のときにe.s.t.とかmermonteとか、いろんな意味で自分がYFAでしかできんやろうなと思うバンドができて、
4年で同期とたくさんバンドができて、
追いコンでandyやって、
正直もうそれでいいかなと思っていた。
もともとバンドが好きというより音楽が好きなので、あと2年間は別のことしてもいいのかなとも思った。
結果的に部活に残れたのはM1で組んだオリジナルのおかげだと思う。
そのへんはメンバーにたくさん話したので省略する。一番勿体無いなと思ったバンドかもしれない。
ここからはオリジナル全般について書く。
バンドマンである前に、YFAである前に、自分たちが大学生である以上どうしても時間の制約がある。
お金を払って大学に行って、勉強して、その中で作ったバンドには、自分がいつまでやれるとしても、バンドは1人じゃできないからいつかは終わりがくる。
オリジナルバンドは時間がかかる。
組んで曲を作ってライブしての中に、たくさんの過程があって、気持ちのいいライブをするには本当に多くの手間と時間がかかる。
しかも人間は食べたものしか出ないから、自分たちの曲を作るにはどうしてもスタートまでに時間がかかる。大学1年までにどれだけ音楽を聴いているか(これは質や量というよりは、その人がアウトプットに足るために必要分聴いているということ)、メンバーが必要最低限そこまで辿り着いているか、曲作りの出発にはその辺りが揃っているかが大きく影響しそうな気がする。
だから部活を通してだと早くても2年、だいたい3年くらいから始めざるを得ない。もちろん早い人は早いし遅い人は遅い。そのへんは臨機応変に受け止めてほしい。
とにかく学部卒なら終わりまでに正味2〜3年しかないということである。
学年が違えばこのタイムリミットはだいたい短くなる。
のに、自分たちはバンドマンである前に大学生なのであった。
自分はもともとオリジナルをやろうと入部したわけじゃないので(そもそもオリジナルを初めからやりたいなら部活に入らなさそう)
いくつかオリジナルバンドを組めたのは楽しかった。
と同時に、本当にオリジナルやるなら時間全然足りないなと思った。少しでもライブすると、次はああしようこうしようが出てくる。こういうこと、できるんじゃないかってどんどんワクワクする。
別にデビューしたいとかそういうことではなく、どこまでいけるんだろうという方が正しい表現のように思う。
どのバンドも短い活動時間だったけど、やれることやろうって、で、時間に対して出来ることはやったと思う。
でももしあと1年あったらと思う日もあるし、逆に終わりがあったから今これだけ美しいのかもしれないとも思う。
とりあえずいつもいうのは図らずも自分がいいなって思うことを共感して、お互い言いたいこと遠慮なく言い合える人たちができたのがよかったなーと思う。
バンド組んだからそれができたし、それができるからバンドができたと思う。
アウトプットについて、これだけは本当に厳しい世界だと思った。
自分の中の理想の音楽みたいなものがあって、音楽を聴くのも作るのも、その見えない理想の形を探ることのように考えている。
どれだけ好きな音楽を見つけても理想の全景が見えないから、自分ならこうするが生まれるんだと思う。
そういう思いで曲作りに関わった。自分が一番いいと思うものに近づけること。
さっきも言ったがアウトプットにはインプットが不可欠である。
自分の場合、自分がコピーしたことのないジャンルのテイストは取り入れることができないというルールがあった。
これだけは本当に自分だけかもしれないが、食べたものしか出せない。
しかも、出したらまた食べないと次が出せない。
大学での部活とかDIYとかを通して創作はめちゃくちゃエネルギーが必要なものだということがよくわかった。
感情とかそういうものでエネルギーが生まれる人もいるんだろうけど、自分のバンドに関しては本当に今までの蓄積のおかげで色々なんとかなった気がする。完コピ厨が功を奏した。
そういう経験を通して、感情がエネルギーになる人は強いなと思う。なにかを伝えたいとか作りたいとかそういう気持ち。自分がたまにしかそういう衝動がないしあっても形まで行かないのでそういう風にできる人たちはかっこいいと思う。そういう人たちの作品がもちろん好きだけど、こうやったら面白いんじゃないか!みたいに楽しいピーポーも好き。
社会人になってバンドは組まないと思うけど、後者の楽しいピーポーとしてのんびりまた音楽に携わっていけたらな〜とは思う。とりあえず消費者としては今までできなかったこともたくさん楽しみたいと思います!
【オリジナル編 おわり】
Sails of timeに音楽的性癖を左右された話
自分の音楽の始まりはたぶんピアノで、兄の影響だった。
兄は親に勧められてやっていたが、自分は自分からやりたいといって始めた。
今になってわかるが、自分は複数のことを同時にするのが苦手だし、ものを覚えるのもなかなか得意ではないので、10本の運指、88鍵の音色を操ることには向いていなかったように思う。
ただ、音楽はそれからなんとなくずっと好きだ。
中学校で吹奏楽部に入ったのはのだめカンタービレの影響だった。Swing girlsではない。
このころから弓を使う弦楽器へのあこがれが強くなる。
しかし吹奏楽には弦楽器はなく、肺活量とか器用さとかいろいろ紆余曲折して打楽器になった。
打楽器の経験が音楽的嗜好に影響したという人は多いし、自分もその一人であると思う。
特に打楽器アンサンブルはリズム遊びのオンパレードで、単音の組み合わせのみで曲が出来上がっているさまはなかなか壮観である。変拍子も多い。
この辺りは打楽器経験者でマスロック好きに聞けば色々語ってくれると思うので割愛する。
中学での思い出は、部員が吹奏楽曲や打楽器アンサンブルに詳しいのに対して自分は特に吹奏楽に関しては何も知らないまま、出会う曲でいいなと思ったものとか、J-POPのアレンジとかが面白いなと思って過ごしていた。
だからたまに吹奏楽経験者と話していても有名な曲など全然知らなくて申し訳ない時がある。やった曲か、よっぽど有名な曲しか知らない。
このころから自分の興味のあるもの、しかもジャンル内でも特定の部分しか覚えられなかったことがわかる。すべてを知るのは無理な人間なのだと思うし、ジャンルで好きになるタイプでもない気がする。
高校でも吹奏楽部に入った。やはり周りは音楽に詳しくて、いい曲の出会いには困らなかった。
その中でも印象深い2曲がある。
God speed!とSails of timeである。
打楽器の経験から学んだことは大きく2つ。
あっ、こんなことしていいんだ~という感覚と、なんでも音楽ということである。
上の2曲はこの2つを特に実感させてくれた2曲だと思う。
God speedは聞いたらわかると思うけど変拍子の美しさを教えてくれる。変拍子というか、7拍子とかそういう3,4,6,8から逸脱するリズム。
これが気持ちいいというところがポイントである。
自分がマスロック好きと声を大にして言えないのは、マスロックをだいたいいいなと思うわけでなはい後ろめたさが大きい。
なんかきいてて小難しすぎるやつは受け入れられないので、申し訳なくて好きとか言えない。
でも自分のFavoriteアーティストはマスロックに分類されるものが多いので周囲からみらた好きと言ってもいいのかもしれないが、なんというか、好きと興味ないがはっきりしているので好きと言い切れないのだと思う。
煮物のこんにゃくとさといもとレンコンは好きで、にんじんはふつうだったら煮物好きとあなたは言うと思うが、もしこんにゃくとさといもは好きだけどしいたけは本当に許容できないし食べる気もしない。というのであれば煮物が好きというのは憚られるだろう。だってたぶん煮物の話したらしいたけ好きなんだよね、好き?という話になっていく。だがそのしいたけだけは、どうにも自分の好きセンサーが反応しなくてテンションが上がらない。それが相手に伝わろうものならもう申し訳なさ過ぎて無理だ。煮物好きと言わないでいた方がいくらかマシな気がする。気にしすぎかとも思うが、お互いのためでもある。しかし許されるならば、マスロックを好きと言いたい。
余計な話をした気がする。とにかく、God Speed!はなんかよくわからんがとてつもなく美しいと思うのだ。割といろんな拍が入っているのに秩序だっていて、聞いていて違和感がない。そういう音楽が好きだ。God Speed!は圧倒的なリズムとキメの美しさで吹奏楽界に君臨し、だれの心にも響く。実はけっこう複雑なのになんてすばらしいんだろう。
そしてSails of timeである。
ある日この曲を演奏するにあたってパートリーダーがやたら思い包みを部室に持ってきた。親戚から手に入れたという、ブレーキドラムだった。
ブレーキドラムが何か今もいまいちよくわかっていない。
とにかくこの曲ではブレーキドラムという鉄の塊をハンマーでかんかんやる必要があったのである。
先輩はほかにも鎖と鎖を打ち付けるコンクリートのブロック、あとシンバルをひっかくコインを用意していた。
音楽における音の概念がぶち壊された日であった。
「こんなことしていいんだ」には、こういうリズムとかをやってもいいのね、とか、この楽器をこういう風につかってもいいのねとか(Vib.を弓で弾くとか)も含まれているが、なにより楽器以外をつかっていいのねが大きい。
自分はやはり無知であるので、Sails of timeの作曲背景を知らない。
しかし作曲者はこだわりがあって鎖の音や金属音を入れたのだと思う。
いわゆる効果音的な音は映画音楽や舞台音楽で作品にリアリティを与えるために加えられることが多いように思う。
吹奏楽でもたびたびこういう飛び道具的な支持が入る。
どういうジャンルでもそうだと思うが、吹奏楽も曲が似ていたり、長かったりしてあんまり区別できないことがある。アイドルの顔と名前が一致しないみたいな感覚で、一人一人にちゃんと向き合えば個人の良さがわかるのだろうが、そこに至るには愛であったり興味であったりなんらかのエネルギーが必要である。
そういう自分にとってイロモノの存在はわかりやすく興味をひき、好きになるエネルギーを生んだ。
Sails of timeは吹奏楽界隈でも有名だし、イロモノ扱いするのは失礼かもしれないが、自分にとっては他曲に比べて圧倒的に異質だった。
(ちなみに使う楽器の話ばかりしているがリズムもなかなかなものである)
こうしてSails of timeによって一度は粉々になった自分の音楽倫理は、組みなおされて今の音への興味・こだわりとして生きているのである。
最近車でFMトランスミッターを使って音楽を聴いているが、たまにFMラジオの放送局の周波数を拾って曲の間に話し声が入ったりする。でもそういう音楽も面白いのかもとか思ってしまう。
実験音楽とかもそんなに詳しいわけじゃないけど面白いよね。好きだわ。
なんでもありなんだと思えば自分が何にどれだけこだわっても許される気がする。
だからこの曲のこの音が好きとか、日常生活のこの音が好きとか思って、もちろんそういうのが苦手な人の前では話さないけど、そういうことが好きな自分を別に否定することなく生きていける。
だっておもしろいし楽しいからね。
おわり
チョコレート博覧会
修論発表が終わってから数日たって、連休の最終日に母と大阪までアフタヌーンティーをしに行った。
直前に予約を取ったこともあってアフタヌーンティーは11時から、大阪に着くのは9時過ぎ、周辺のお店が開くのは10時と、大阪についてから微妙な空き時間ができてしまった。
駅周辺を散策しようにも当日の天気は雪混じりの雨。
仕方がないので大阪駅構内をぶらぶらすることにした。
阪急の方へあの有名な通りやん!とかいいながら向かうとやたらと人が多いことに気づく。まだ10時前なのに。
横断歩道を渡ると阪急百貨店の前に人集りができているのが見えた。
何に並んでいるのか確認するためによってみると、謎のカタカナと購入希望の方は右手の列へ!みたいな文句が書いてある。もうそのカタカナの羅列すら覚えていない。
Google先生に聞くとチョコレートの有名店の名前だということがわかった。
さらに阪急百貨店でチョコレート博覧会が開催されるということも明らかになった。
この人々はチョコレートのために開店前からこんなに並んでいたのである。
母はこういうときミーハーなので「並ぼ!」と言ってきかなかった。
とはいえ、自分もチョコレートは大好きであるので、暇だし並ぶことにした。
10時になると同時に大勢の人が阪急百貨店に入っていく。
店員さんたちの大きな案内の声をききながら、見慣れぬ地の人込み、きらきらした立派な店内に少しわくわくしながらエスカレーターを登る。
チョコレート博覧会はすごかった。
金沢でこんなもの見たことがないなと思った。
先ほども言ったが自分はチョコレートが好きだし、お菓子にも造詣が深いと思っていた。
思っていたのだが。
阪急百貨店の9階にあるチョコレートをすべて溶かして1枚の板チョコにしたら、畳何枚分くらいになるとか、そういうわかりやすい量があったらいいのだが、とにかく大量のチョコレートがあったと思う。
あるところではチョコレートがなんだか小さな宝石のようになっていて、それが様々な形で各ブースにちょこんと並んでいて、あるところでは微妙に色彩の異なるチョコレートの板が並んでおり、何かの色見本を見まがうほどであった。
わからないな~~~ととにかく思った。自分はチョコレートについて何も知らないとまで思った。
とりあえず全体を一周した(あとでわかったが実際はフロアの半分しか見てなかった)。
小さいチョコレートはお店ごとにデザインが違っているし、味も違うのだと思うが、見ている側からすると何が違うのか全くわからなかった。こんなもの、ジャケ買いするしかないやんと思った。しかも、一つ一つがやたら高い。天下の明治ザ・チョコレートすらご褒美と思って買う庶民には全く理解の追い付かない値段である。そのザ・チョコレートですら、名前は忘れたが高級なチョコレートをいつもの小袋3つで1500円くらいで売っていたのである。意味が分からない。
バレンタイン直前ということもあり、贈答用に高級なものが用意されているのはわかる、が、その値段に根拠のわからない恐ろしさを覚え、目の前にあるのがチョコレートに見えなくなっていたのは事実である。
生々しい話をしてしまったが、板で売っている系のチョコレートブースは大変興味深かった。世界各地の産地のチョコレートがその配合割合も様々に並んでいる様子は、無知からするとみているだけで面白い。味もわかるとなお楽しいのだろうな、と、まだ見ぬチョコレート界に思いをはせた。ちょっと勉強してみたくなった。
結局アフタヌーンティーが控えていることを考えると全く物欲が出ず、家族のバレンタイン用のチョコレートだけを買って帰った。
今日垣間見たチョコレートの世界は、今まで出会おうともしなかった偶然の場所であり、たぶん潜っても潜っても底が見えないんだろうなあと思った。
チョコレート好きだな、とか思ってた自分を少しだけ恥じ、博覧会にいたすべてのチョコ好きに尊敬の念を覚え会場をあとにした。