Sails of timeに音楽的性癖を左右された話

自分の音楽の始まりはたぶんピアノで、兄の影響だった。

兄は親に勧められてやっていたが、自分は自分からやりたいといって始めた。

今になってわかるが、自分は複数のことを同時にするのが苦手だし、ものを覚えるのもなかなか得意ではないので、10本の運指、88鍵の音色を操ることには向いていなかったように思う。

ただ、音楽はそれからなんとなくずっと好きだ。

 

中学校で吹奏楽部に入ったのはのだめカンタービレの影響だった。Swing girlsではない。

このころから弓を使う弦楽器へのあこがれが強くなる。

しかし吹奏楽には弦楽器はなく、肺活量とか器用さとかいろいろ紆余曲折して打楽器になった。

打楽器の経験が音楽的嗜好に影響したという人は多いし、自分もその一人であると思う。

特に打楽器アンサンブルはリズム遊びのオンパレードで、単音の組み合わせのみで曲が出来上がっているさまはなかなか壮観である。変拍子も多い。

この辺りは打楽器経験者でマスロック好きに聞けば色々語ってくれると思うので割愛する。

中学での思い出は、部員が吹奏楽曲や打楽器アンサンブルに詳しいのに対して自分は特に吹奏楽に関しては何も知らないまま、出会う曲でいいなと思ったものとか、J-POPのアレンジとかが面白いなと思って過ごしていた。

だからたまに吹奏楽経験者と話していても有名な曲など全然知らなくて申し訳ない時がある。やった曲か、よっぽど有名な曲しか知らない。

 

このころから自分の興味のあるもの、しかもジャンル内でも特定の部分しか覚えられなかったことがわかる。すべてを知るのは無理な人間なのだと思うし、ジャンルで好きになるタイプでもない気がする。

 

高校でも吹奏楽部に入った。やはり周りは音楽に詳しくて、いい曲の出会いには困らなかった。

その中でも印象深い2曲がある。

 

God speed!とSails of timeである。

 

打楽器の経験から学んだことは大きく2つ。

あっ、こんなことしていいんだ~という感覚と、なんでも音楽ということである。

上の2曲はこの2つを特に実感させてくれた2曲だと思う。

 

God speedは聞いたらわかると思うけど変拍子の美しさを教えてくれる。変拍子というか、7拍子とかそういう3,4,6,8から逸脱するリズム。

これが気持ちいいというところがポイントである。

 

自分がマスロック好きと声を大にして言えないのは、マスロックをだいたいいいなと思うわけでなはい後ろめたさが大きい。

なんかきいてて小難しすぎるやつは受け入れられないので、申し訳なくて好きとか言えない。

でも自分のFavoriteアーティストはマスロックに分類されるものが多いので周囲からみらた好きと言ってもいいのかもしれないが、なんというか、好きと興味ないがはっきりしているので好きと言い切れないのだと思う。

煮物のこんにゃくとさといもとレンコンは好きで、にんじんはふつうだったら煮物好きとあなたは言うと思うが、もしこんにゃくとさといもは好きだけどしいたけは本当に許容できないし食べる気もしない。というのであれば煮物が好きというのは憚られるだろう。だってたぶん煮物の話したらしいたけ好きなんだよね、好き?という話になっていく。だがそのしいたけだけは、どうにも自分の好きセンサーが反応しなくてテンションが上がらない。それが相手に伝わろうものならもう申し訳なさ過ぎて無理だ。煮物好きと言わないでいた方がいくらかマシな気がする。気にしすぎかとも思うが、お互いのためでもある。しかし許されるならば、マスロックを好きと言いたい。

 

余計な話をした気がする。とにかく、God Speed!はなんかよくわからんがとてつもなく美しいと思うのだ。割といろんな拍が入っているのに秩序だっていて、聞いていて違和感がない。そういう音楽が好きだ。God Speed!は圧倒的なリズムとキメの美しさで吹奏楽界に君臨し、だれの心にも響く。実はけっこう複雑なのになんてすばらしいんだろう。

 

そしてSails of timeである。

ある日この曲を演奏するにあたってパートリーダーがやたら思い包みを部室に持ってきた。親戚から手に入れたという、ブレーキドラムだった。

ブレーキドラムが何か今もいまいちよくわかっていない。

とにかくこの曲ではブレーキドラムという鉄の塊をハンマーでかんかんやる必要があったのである。

先輩はほかにも鎖と鎖を打ち付けるコンクリートのブロック、あとシンバルをひっかくコインを用意していた。

 

音楽における音の概念がぶち壊された日であった。

 

「こんなことしていいんだ」には、こういうリズムとかをやってもいいのね、とか、この楽器をこういう風につかってもいいのねとか(Vib.を弓で弾くとか)も含まれているが、なにより楽器以外をつかっていいのねが大きい。

 

自分はやはり無知であるので、Sails of timeの作曲背景を知らない。

しかし作曲者はこだわりがあって鎖の音や金属音を入れたのだと思う。

 

いわゆる効果音的な音は映画音楽や舞台音楽で作品にリアリティを与えるために加えられることが多いように思う。

吹奏楽でもたびたびこういう飛び道具的な支持が入る。

 

どういうジャンルでもそうだと思うが、吹奏楽も曲が似ていたり、長かったりしてあんまり区別できないことがある。アイドルの顔と名前が一致しないみたいな感覚で、一人一人にちゃんと向き合えば個人の良さがわかるのだろうが、そこに至るには愛であったり興味であったりなんらかのエネルギーが必要である。

 

そういう自分にとってイロモノの存在はわかりやすく興味をひき、好きになるエネルギーを生んだ。

Sails of timeは吹奏楽界隈でも有名だし、イロモノ扱いするのは失礼かもしれないが、自分にとっては他曲に比べて圧倒的に異質だった。

(ちなみに使う楽器の話ばかりしているがリズムもなかなかなものである)

 

こうしてSails of timeによって一度は粉々になった自分の音楽倫理は、組みなおされて今の音への興味・こだわりとして生きているのである。

 

最近車でFMトランスミッターを使って音楽を聴いているが、たまにFMラジオの放送局の周波数を拾って曲の間に話し声が入ったりする。でもそういう音楽も面白いのかもとか思ってしまう。

実験音楽とかもそんなに詳しいわけじゃないけど面白いよね。好きだわ。

 

なんでもありなんだと思えば自分が何にどれだけこだわっても許される気がする。

だからこの曲のこの音が好きとか、日常生活のこの音が好きとか思って、もちろんそういうのが苦手な人の前では話さないけど、そういうことが好きな自分を別に否定することなく生きていける。

だっておもしろいし楽しいからね。

 

おわり